タクナ大聖堂
Tacna
タクナ大聖堂は正式名称を「カテドラル・デ・ヌエストラ・セニョーラ・デル・ロサリオ」といい、ペルーのタクナ中心部、パセオ・シビコに隣接して堂々とそびえています。1875年に建設が始まり、アレハンドロ・ギュスターヴ・エッフェルに関連するフランスの会社が手がけ、ネオルネサンス様式の壮大な建築ビジョンを反映しています。大聖堂は近隣のインティオルコとアルンタの丘から採石された石材を用いて建てられ、地域色豊かな強固な造りとなっています。しかし、太平洋戦争の勃発とその後のチリ占領により工事は長期間中断され、数十年にわたり未完成のままでした。こうした困難にもかかわらず、部分的に完成した塔は地元コミュニティにとって希望と信仰の象徴となりました。ペルーがタクナの支配権を回復した後、1950年代初頭にペルーの建築家ルイス・F・ゴイコチェア・Bと技術者のビクトル・A・エストレマドイロ、カルロス・ペレス・レイエスの指導のもとで建設が再開されました。工事は1954年にようやく完了し、約80年にわたる断続的な作業の集大成となりました。現在、大聖堂は礼拝の場であると同時に、都市の歴史的な闘争と文化的アイデンティティの記念碑としても立っています。
ヒント: タクナ大聖堂を訪れるのに最適な時期は乾季で、街の中心部を快適に散策できます。ミサの時間や特別イベントのスケジュールは地元で確認することをおすすめします。大聖堂自体は事前のチケット購入は不要ですが、タクナの歴史的中心地のガイドツアーに参加するとより充実した体験ができます。近隣の文化施設では学生や高齢者向けの割引がある場合もあります。
興味深い事実
- •大聖堂の初期建設には、パリのエッフェル塔で有名なギュスターヴ・エッフェルに関連するフランスの会社が関わっていました。
- •大聖堂の石材は、地域に物理的なつながりを持つインティオルコとアルンタという地元の丘から採石されました。
- •チリ占領中、大聖堂は未完成のままでしたが、その二つの塔はタクナの人々にとって希望と信仰の象徴として堂々とそびえていました。
- •1929年に一つの塔に仮設の鐘が設置され、50年間のチリ統治後のタクナのペルー再統合を記念しました。
- •元の設計図は失われており、1950年代の最終完成には既存の構造を基にした新たな建築計画が必要でした。
歴史
タクナ大聖堂の建設は1875年、ホセ・バルタ大統領の経済成長期に始まり、アレハンドロ・ギュスターヴ・エッフェルに関連するフランスの会社が寺院の建設を請け負いました。プロジェクトは技術者カルロス・ペトットと建築家タデオ・ストルイェムスキが指揮しました。1878年頃に資金難で進行が停止し、1879年に始まった太平洋戦争とチリのタクナ占領によりさらに遅延しました。数十年間、未完成の大聖堂の塔は希望の象徴としてそびえ立っていました。1929年にタクナがペルーに再統合された後、政府は1950年に大聖堂完成のための資金を割り当て、ペルーの建築家ルイス・F・ゴイコチェア・Bの指導のもとで建設が再開されました。大聖堂は1954年にようやく完成し、正式に落成しました。
場所ガイド
主祭壇と中央身廊1954
ネオルネサンス様式の建築要素と地元の採石場から調達された精巧な石細工が特徴の礼拝の中心部で、荘厳で感動的な雰囲気を醸し出しています。
双子の塔1875-1954
太平洋戦争中に未完成のままだった二つの目立つ塔で、後に完成して大聖堂の頂点を飾っています。タクナの街中から見える象徴的なランドマークです。
地下納骨堂1954
大聖堂の地下に広がる約980平方メートルの納骨堂で、1950年代に主構造とともに完成しました。埋葬や宗教儀式に利用される重要な空間です。