
アズラク城モスク
Al Mafraq
カスル・アル=アズラクは「青の要塞」として知られ、ヨルダン東部のアズラクオアシス近くに位置する大規模な玄武岩の要塞です。その戦略的重要性は、周囲の砂漠で唯一の恒久的な水源であるオアシスに由来します。要塞は80メートルの長さの壁で囲まれた正方形のレイアウトを持ち、中央の中庭にはウマイヤ朝時代に遡る可能性のある小さなモスクが設けられています。現在の形は1237年にアイユーブ朝による大規模な再建によるもので、地元で採掘された黒い玄武岩を用いており、特徴的な暗い外観をしています。要塞の各角には細長い塔があり、正門は巨大な花崗岩の板でできていて、ヤシ油で潤滑された石のソケットの上で滑らかに回転します。この場所はローマ人、ビザンツ帝国、ウマイヤ朝、オスマン帝国など様々な文明に利用され、特に1917〜18年のアラブ反乱時にはT.E.ロレンスが砂漠の司令部として使用しました。現在の訪問者はモスクを含む要塞の多くを見学でき、その独特の建築と砂漠の軍事拠点としての歴史的重要性を感じることができます。
ヒント: アズラク城モスクを訪れるのに最適な時期は、砂漠の暑さを避けられる涼しい季節です。アンマンからのガイド付きツアーや日帰り旅行に参加し、カスル・ハラナやカスル・アムラなど他の砂漠の城も含まれるプランがおすすめです。チケットは現地で購入できることが多いですが、割引や砂漠の城の共通チケットがあるか事前に確認すると良いでしょう。歩きやすい靴を履き、水を持参することを忘れずに。施設が限られた砂漠の辺境地帯にあります。
興味深い事実
- •要塞の正門は最大3トンの巨大な花崗岩の板でできており、ヤシ油で潤滑された石のソケットの上で回転するため、その重さにもかかわらず動かすことができます。
- •中央の中庭にある小さなモスクはウマイヤ朝時代に遡る可能性があり、軍事要塞内にある初期イスラム建築の希少な例です。
- •T.E.ロレンス(アラビアのロレンス)は1917〜18年のアラブ反乱時にカスル・アル=アズラクを砂漠の司令部として使用し、その体験を著書『知恵の七柱』で詳述しています。
- •城の玄関ホールの舗装にはローマ時代のボードゲームの彫刻が保存されています。
- •要塞はすべて地元産の黒玄武岩で建造されており、通常はより明るい石材が使われる地域の建物と比べて異例です。
歴史
カスル・アル=アズラクの場所は、アズラクオアシスの戦略的な位置から古代より占有されてきました。ローマ人は紀元200年頃にここに軍事拠点を築き、地元の玄武岩で石造建築を建てました。その後、ビザンツ帝国やウマイヤ朝が利用・改修を行いました。1237年にはアイユーブ朝のエミール、イッザ・アッディーン・アイバクが大規模な改修と強化を行い、現在の形に整えました。オスマン時代には駐屯地として使われ、20世紀初頭にはT.E.ロレンスがオスマン支配に対するアラブ反乱の拠点として利用し、その歴史的意義をさらに高めました。
場所ガイド
中央中庭とモスクウマイヤ朝時代(7〜8世紀)
要塞の中心には大きな正方形の中庭があり、その中央にウマイヤ朝時代と考えられる小さなモスクがあります。このモスクは砂漠の要塞内に組み込まれた初期イスラム教の宗教建築の数少ない例として非常に珍しいものです。
正門と玄関ホール1237年 アイユーブ朝の改修
要塞の正門は最大3トンの巨大な花崗岩の扉で構成されており、ヤシ油で潤滑された石のソケットの上で回転します。門の奥の玄関ホールの舗装にはローマ時代のボードゲームの彫刻が残っており、この場所の長い歴史を物語っています。
角の塔13世紀 アイユーブ朝時代
要塞の四隅には細長い塔が設けられており、防御と監視のために歴史的に使用されました。これらの塔は周囲の砂漠とオアシスを見渡せる戦略的な見張り所となっていました。
T.E.ロレンスの執務室1917〜18年
入口の門楼の上に位置するこの部屋は、アラブ反乱時にT.E.ロレンスが執務室として使用しました。20世紀初頭の中東史における要塞の役割を象徴しています。
連絡先
電話: 07 7708 0141