
プラザ・デル・レロイ
Litoral
プエルタ・デル・レロイは地元ではボカ・デル・プエンテとも呼ばれ、コロンビアのカルタヘナ・デ・インディアスの主要な市門であり、要塞化された植民地都市への歴史的な入口を示しています。1704年から1738年にかけてスペインの軍事技師フアン・デ・エレーラ・イ・ソトマヨールによって建設され、半円形のローマ式アーチを中心にトスカーナ式の柱が配された特徴的なポストクラシック様式のファサードを持ち、スペイン・アメリカの要塞建築学派の建築様式を反映しています。歴史的には、城壁都市とヘトセマニ地区を結ぶカーニョ・デ・サン・アナスタシオにかかる木製の跳ね橋を守っており、海賊の侵入に対する防御の役割を果たしていました。門は独立広場とコーチェス広場の間に位置し、新世界における植民地時代の軍事建築の最も保存状態の良い例の一つとされています。そのデザインはサントドミンゴのサン・フランシスコ修道院の正面ファサードに影響を受けており、ヴォーバン学派の要塞原則に従っているため、カルタヘナの重要な文化的・歴史的記念碑となっています。
ヒント: 混雑を避けて涼しい時間帯に訪れるなら、早朝か夕方がおすすめです。門自体の入場券は不要ですが、近隣の博物館や歴史的な場所を訪れることでカルタヘナの植民地時代の遺産をより深く体験できます。地元の観光スポットの共通チケットを購入すると割引が受けられることもあります。ガイドツアーに参加すると、門の歴史や建築についてより詳しく知ることができます。
興味深い事実
- •門の頂上には18世紀初頭に設置された時計があり、『プエルタ・デル・レロイ』の名前の由来となっています。
- •ヴォーバン学派の要塞設計を厳格に踏襲しており、新世界で最も保存状態の良い例の一つです。
- •植民地時代には海賊の侵入を防ぐため、門の跳ね橋は上げられていました。
- •門の建築様式はサントドミンゴのサン・フランシスコ修道院の主教会正面を彷彿とさせます。
歴史
もともとは1631年に「プエルタ・デル・プエンテ」として建設され、その後1704年から1738年にかけてフアン・デ・エレーラ・イ・ソトマヨールのもとで大規模な再建が行われました。門が守っていた木製の跳ね橋は1540年に遡り、都市の重要な連絡路かつ防御機構として機能していました。時を経て、この門はカルタヘナの植民地時代の象徴となり、海賊の襲撃から守る戦略的重要性を示すものとなりました。かつてはサン・ペドロ・アポストルとサン・フアン・バウティスタのバスティオンが門を挟んで配置され、防御力を高めていましたが、一部は現在失われています。
場所ガイド
メインアーチと時計塔Early 18th century
プエルタ・デル・レロイの中心的な特徴は、18世紀初頭に設置された象徴的な時計を頂く壮大な半円形ローマ式アーチです。この時計塔は単なる時計としてだけでなく、都市の歴史的な警戒心と植民地時代の遺産の象徴でもあります。
トスカーナ式柱とファサード1704-1738
ファサードは2対のトスカーナ式柱に挟まれ、トリグリフ装飾のあるフリーズを備えたエンタブラチュアが特徴で、当時のスペイン軍事技師が好んだポストクラシック様式を示しています。
元の跳ね橋の跡地1540 (drawbridge origin)
門の足元にはカーニョ・デ・サン・アナスタシオにかかる木製の跳ね橋があり、城壁都市とヘトセマニを結んでいました。この跳ね橋は攻撃時に上げられ、敵の侵入を防ぐ重要な防御機能を果たしていました。
連絡先
電話: 222 142 229